島根・山口・広島県の旅


一日目 石見銀山観光
平成25年5月15日新幹線のぞみで名古屋駅を出発、広島駅からはレンタカーにて世界遺産島根県石見銀山へ
石見銀山世界遺産センターに12:00到着、車を止めここからはバスで石見銀山の街並み地区(石見銀山公園)へ向かいました。
龍源寺間歩(銀山の坑道)まではここから2.3キロあり片道徒歩で45分歩かなければならず、行くのを残念しこの街並み地区を散策し、世界遺産センターで銀山の概要を見ることにしました。

 
バスを降り最初の見物は五百羅漢です
 
街並み
 
旧河島家は代々銀山附き役人を代々勤めた家柄であり、銀山役人の住まいを今に伝えています。

重要文化財 熊谷家住宅

郵便局と銀行

石見銀山資料館(大森代官所跡)
石見銀山に伝わる歴史資料、鉱山資料、鉱物標本などが展示されています。

資料館からは銀鉱山がある仙ノ山が望めます

石見銀山世界遺産センターにて歴史と技術を紹介する展示や、調査成果を見学後今日の宿津和野温泉へ向かいました。
二日目旅程は津和野殿町散策・萩城下町散策・角島ドライブ
津和野温泉
山陰の小京都「津和野」
津和野は、山間に白壁と赤瓦の家並みがつづき、西に山城の後がみえる城下町です。(津和野町観光協会)
津和野の宿で朝食後散策に出かけました、まず津和野駅へ、
 
殿町通り
津和野といえば、まず思い浮かぶのが、殿町通りの掘割に咲く菖蒲と、たくさんの鯉が泳ぐ姿です。殿町通りは、かつて武家屋敷町があり、西周や森鴎外も学んだ藩校養老館跡や、家老多胡家の表門が堂々たる姿を見せています。
 

メタボの鯉
 
多胡家老門と津和野町役場支所の旧大岡家
藩校養老館
 
カトリック教会
 


萩城城下町は、今も江戸時代の地図がそのまま使える程町筋が残っています。菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁と呼ばれる小路が有り、そこには萩藩御用達の豪商菊屋家やなまこ壁の土蔵、高杉新作誕生地、木戸孝允旧宅など往時を偲ばれるものが多く残っています。
 
松陰神社と松下村塾
松下村塾は吉田松陰の叔父玉木文之進の家塾を、安政三年(一八五六)から
松陰が主宰し、高杉晋作・伊藤博文ら明治維新に活躍した多くの人材を養成したことで有名です。。
 
藩の御用商人を務めていた菊屋家
現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。
主屋をはじめ5棟が国指定重要文化財に指定されています。
また藩の本陣としての役割も持っており、当時の様子を約20年前に復元し一般公開しています。
すばらしい庭や美術品など貴重な資料が数多く展示されています。
   
 
 
高杉晋作誕生地      木戸孝允旧宅
萩の街を14時に後にして、開通したばかりの角島大橋を見に行きました。

「角島大橋」
角島大橋平成12年11月3日に開通した、角島と本土を結ぶ橋が角島大橋。
橋の長さは全長1780mで、通行無料の一般道路では日本で屈指の長さのものです。

イギリスの技師により建てられたもので、石造り(総御影石)の灯台としては日本でも最も美しいとされています。
16:00今日の宿湯元温泉に向かう
3日目の旅程 金子みすゞ記念館・秋芳洞・秋吉台・瑠璃光寺・錦帯橋・宮島 
長門湯元温泉を8:30に出発最初の観光は金子みすゞ記念館です。
金子みすゞ記念館
日本の童謡の最盛期、大正後期に水生のようにあらわれた美しい詩人金子みすゞ。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 

わたしと小鳥とすずと

  わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

秋芳洞
秋吉台の地下100m、大正15年昭和天皇が皇太子の御時、本洞を御探勝になり、この名前を賜ったものです。
ひんやりと肌をさす冷気漂う杉木立を通り抜けると、秋芳洞の入口です。洞内からの水は三段の滝となり、飛沫を舞い上げながらコバルトブルーの川面へと流れ落ちています。
洞内の観光コースは約1km(総延長8.9km)、温度は四季を通じて17℃で一定し、夏涼しく冬は温かく、ご年配の方やお子さまにも快適に探勝できます。
 

黄金柱 

千枚敷
秋吉台は、3億年、この一帯が海だったと言われる日本一広大なカルスト(石灰岩の)台地です。大部分が自然公園として国定公園に指定(1955年)され、その中の一部は特別 天然記念物に指定(1964年)されています。そのエリアは、山口県中央部のやや西寄り、東西17キロ、南北8キロに及びます。春は一面 の新緑、秋は、生い茂る銀色のススキ群のなかにリンドウなどの野草が揺れます。
 
12:50秋吉台を後に次の観光地山口へ
瑠璃光寺
大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。
関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です
全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。ちなみに、日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔です。また、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と長谷寺、そして広島県の厳島神社にもあります。
2:00岩国市の錦帯橋に向け出発
錦帯橋
日本三名橋のひとつ「錦帯橋」 (きんたいきょう) は日本を代表する木造橋です。他に例を見ない特異な姿の五連の反り橋が特徴で、1922年 (大正11年) には国の名勝に指定されています。橋の長さは、橋面にそって210m、直線で193.3m。また幅5m、橋台の高さ6.64mです。

入橋券
17:00JR西日本宮島フェリーで宮島へ
通常、宮島口桟橋を出発したフェリーは宮島桟橋に向かい直進しますが、 宮島口発9:10∼16:10の便は、海から参拝ができる、大鳥居便を運航いたします。(所要時間は変わりません。)
大鳥居の迫力を間近で感じられるよう、フェリーが大鳥居に接近! 進行方向右側に乗船すれば、鳥居をバックに記念写真の撮影ができます
ホテルに着き食事をすませライトアップされた鳥居を見物に
 

宮島のシンボルおおきなしゃもじ
4日目宮島厳島神社・ロープウエーで弥山(みせん)・呉市大和ミュージアム・広島平和公園
弥山(みせん)
宮島の主峰・弥山は標高535m。 天然記念物に指定されている「瀰山原始林」は、針葉樹林に南方系の植物が混在する森で、ヤマグルマなどの原始的な植物を自然の状態で見ることができる貴重な場所です。標高400m以上の所では、ツガやモミなどの針葉樹とアカガシやウラジロガシなどの常緑広葉樹が混じった混合林が見られます。中腹から麓にかけては、アカマツを主体にシリブカガシ・タイミンタチバナ・ミミズバイなど常緑広葉樹が多い森になっています。そんな多様な植物相をもつ自然の森の美しさ、巨岩奇石が点在する変化に富んだ景観、そして眼下に広がる瀬戸内海の多島美が訪れる人を魅了します。
 
 
日本三景の一つ「安芸の宮島」で知られる厳島。そこにある厳島神社は、海を敷地とし、平安時代の寝殿造りの建築美で知られる日本屈指の名社。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるよう。また海面にそびえる朱塗りの大鳥居は厳島神社と厳島のシンボルだ。神社が浜に創建されたのは、島全体がご神体とされ神聖視したためとみられ、自然に神をみる日本古来の信仰をそのまま形にした見事な調和を顕している。潮の干満で変わってゆく社殿の姿を楽しみました。
 
 

12:00宮島に別れ次の観光は呉の大和ミュージアムへ
大和ミュージアム
呉市は、明治22年に呉鎮守府、明治36年には呉海軍工廠が設置され、戦前においては、戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄え、また、戦後においては、戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界最大のタンカーを数多く建造するなど、我が国が戦後約10年ほどで世界一の造船国へ発展する一翼を担い、有数の臨海工業都市として発展し、地域の産業発展のみならず、日本の近代化に大きく貢献してきました。
呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)は、明治以降の日本の近代化の歴史そのものである「呉の歴史」と、その近代化の礎となった造船、製鋼を始めとした各種の「科学技術」を、先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介し、我が国の歴史と平和の大切さを深く認識していただくとともに、科学技術創造立国を目指す日本の将来を担う子ども達に科学技術のすばらしさを理解していただき、未来に夢と希望を抱いていただくことのできる「呉らしい博物館」とすることにより、地域の教育、文化及び観光等に大きく寄与することを目的とします。

実物の1/10の戦艦ヤマト
15:15分呉を後に広島平和公園へ16:15分広島平和記念資料館着
 
 
広島駅で広島焼きの夕食を済ませ、19:08のぞみで帰路につく