花紀行東北ドライブ
2008年9月に太平洋フェリーを利用して東北旅行をしたおり、角館の桜の木を見て花が咲いた時の素晴らしさをぜひ観たくて旅を決行しました、今回は日本海フェリーの利用です。豪華客船とは言えませんが、ゆったりした船の旅はすっかり気に入りました。
敦賀港を出港して20時間の船旅です、船内ではのんびりと過ごす事が出来、大浴場で海を眺めながら湯につかり、卓球などをして時間を過ごし、のんびりとした楽しい船旅でした。秋田港に着いたのが翌日の早朝5時50分、定刻どうりの到着です、残念ながら天候は雨、フェリーターミナルで朝食を済ませ、角館に出発です、雨、そして早朝とゆうこともあり駐車場はすいていました。

角館「武家屋敷」しだれ桜
武家屋敷通り
樺細工伝承館
武家屋敷「石黒家」

桧木内川の堤防
雨にもかかわらず、巨木、古木の桜が一面に咲き、見事でした、晴れていたらと思いつつも素晴らしい光景に満足しました。

思いがけず出合った「みずばしょう」

次の観光地小岩井牧場に向かう途中、国道46号線脇に「みずばしょう」の群生を見つけ寄ってきました、これだけの群落を観るのは初めてです、刺巻湿原ミズバショウ群生地
ミズバショウを見たあと、1時間ほど走り小岩井農場に着きました、

小岩井農場の一本桜

郷土のシンボル岩手山を背景に、小岩井農場の丘の上にそびえる一本桜、詳しい樹齢は不明ですが、明治40年代 (100年前)に植えられたと言われています。
一本桜があるこの草地は、今は農場の牛などの餌になる牧草を収穫する畑ですが、昔は牛の放牧地でした。牛は暑さが苦手なので、夏の強い日差しから牛を守る「日陰樹」として植えられたものです。

「まだつぼみ硬し」といった状態です、開花は5月に入ってからとのことでした。

咲いたらこんなに素敵な景色です
小岩井農場で牛乳を試飲したあと、昼食はレストハウスで特製のオムレツです。
食後、盛岡へ市内の中心部にある盛岡地方裁判所をめざしました、40分で到着です、この頃には雨も止みました。

石割桜

盛岡地方裁判所の前に、大きな岩の割れ目からたくましい幹を伸ばして咲く「石割桜」です。

この敷地は盛岡藩の家老であった北家の屋敷跡であり、庭石の割れ目に桜の種が飛んできて芽を出し、成長とともに石の割れ目を押し広げていったものと言われている。石は、花崗岩で周囲が21.0m、桜はエドヒガン花色からシロヒガンともいうで樹齢は350400年と推定される。現在幹の周囲は、4.6m、樹高11.0m、枝張りは東西に16.0m南北に17.1mである。石の割れ目は、北側南側共に少しずつ広がっている。大正12年、国の天然記念物に指定され現在に至っている。

(盛岡地方裁判所敷地内の説明より)
14時20分石割桜に分かれを告げ、東北道盛岡ICから高速道路を走り今日の宿、大鰐温泉に向かいました、天気予報が明日は朝から雨との予報なので、急きょ弘前城の桜を観に行くことになり、16時20分弘前城に到着、追手門前の駐車場に車を止めました。

追手門前の外堀

追手門
  
  
弘前城の桜を十分に堪能し今日の宿は大鰐温泉です
4月22日、昨日弘前城見物したのは正解でした、朝から雨です、予定に入ってなかった、五所川原に行くことにしました、「立佞武多」(たちねぶた)の館に着いたのは9時です
全国的にも有名な「立佞武多」は高さが七階建のビルに相当する二十二b幅六bそして重さは六トンにもなります、その威容を見ることができるのは毎年八月四日より八日までの祭りの期間だけでしたが、「立佞武多」(たちねぶた)の館では、常時観覧できます、今年八月の祭りに使用される「立佞武多」はもう出来上がっていました。





11時「立佞武多」(たちねぶた)の館を後に、ここまで来たのだからということで、竜飛岬まで足をのばすことになりました。
竜飛岬
津軽半島の北のはずれに位置する龍飛崎は、最果て旅情漂う岬として古くから歌謡曲にも歌われてきました。龍が飛ぶがごとく強い風が吹くというのが名の由来という。最北点の展望台からは津軽海峡と遠く北海道の影までもが見渡せる、また龍飛崎灯台と龍飛バス停を結ぶ階段は、非常に珍しい歩行者専用の「国道」です。
世界一長い海底トンネルの歴史や構造などを紹介する青函トンネル記念館がありますが、休館中で見学できなく残念でした。
階段国道
竜飛バス停と竜飛崎灯台を結ぶ388.2mの階段です、段数は361段あり日本でただ一つの階段の国道です、
この国道339号線は、もともと村の生活道路でしたが、昭和49年に国道へ昇格しました、実際に現地を確認せずに図面上で国道にしてしまったらしいとのこと?、でもそのおかげで観光名所になっています。
  
竜飛崎灯台

青函トンネル本州方面基地
今日の宿は秋田市内ですが、行程は青森経由です、途中青森ICの近くにある、三内丸山(さんないまるやま)遺跡を見学しようとゆうことになりました。

特別史跡三内丸山(さんないまるやま)遺跡

特別史跡三内丸山(さんないまるやま)遺跡は日本最大級の縄文集落跡です。発掘調査によって当時の自然環境や生活、ムラの様子などの解明が進められています。

ボランティアガイドさんに案内していただき、約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡を見ることができました、
  平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。
  また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。
  ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。
  平成12年11月には国特別史跡に指定されました。
大型掘立柱建物跡
地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡です。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていました。地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残っていました。6本柱で長方形の大型高床建物と考えられます。
    
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
発掘された品々
三内丸山(さんないまるやま)遺跡を後に一路秋田までまっしぐらです、市内のホテルについたのは午後7時です。
秋田の地元料理を食べようと外出、ホテル近くの地元料理の店で食事をとり、東北旅行の最後をたのしみました。
   
23日秋田港を9時出港のフェリーで東北に別れを告げ一路敦賀へ、新潟に16時30分寄港、敦賀には24日の5時30分到着です。
北陸自動車道のSAで朝食をとり、名神高速、東海北陸自動車道経由、一宮木曽川ICで降り帰ってきました。
4泊5日車の走行距離は1000`のゆっくりとした楽しい旅の終了です。